イケフェス2日目の1軒目は、北浜駅すぐ堺筋と土佐堀通の交差点に位置し、難波橋のライオン像と向き合うようにして建つ「大阪証券取引所ビル」。
今回同行者が証券取引の歴史に興味があったこともあり、イケフェスの先着順ガイド付きツアーに並んで参加しました。
金融街の象徴、時代をつなぐアールデコ建築
北浜の交差点といえば、ライオン橋と楕円状のこの建物。
1935年に2004年に現代的なビルに建て替えられていますが、外観と吹き抜けのエントランスホールは当時のものが残されています。
1935年の建設時に270万円かけて建てられたそうで、その価値は今でいうとなんと80億円だそうです。
当時は戦争の空気が漂い出した頃で、屋根に大砲を置くことも考え強固に造られた都市部層建築、とのことでした。
戦時中の空襲にも耐えた建物は、戦後は進駐軍向けのダンスホールとして使われた時代もあったとか。
様々な時代を見てきた建築ですね。
当時の大大阪の繁栄が感じられる、エントランスホール
建物内部に入ると、一転優雅さが漂います。
エントランスホールの楕円状の壁にカーブして設置されたステンドグラスが見事で、みとれてしまいます。
ホール天井は楕円形。
イケフェスのガイド本には、建物が楕円形なのは直交していない堺筋と土佐堀通の関係を調整するため、と記載されていましたが、大阪証券取引所のガイドの方によると、天井の楕円は、小判がモチーフになっているとの説もあるようです。
大阪証券取引所の元になった堂島米市場が、世界における先物取引所の先駆けになった歴史への誇りを感じます。
床は、トラベルチーノというイタリア産大理石。
空気の穴が開いているのが特徴で、ローマのコロッセオやトレビの泉などにも使われています。
床の模様は、分銅秤をモチーフにしています。
1階内壁は、フィレットロッソ クラシコのイタリア産大理石。
2階内壁は、ボテチーノ大理石とのことです。
通風口 のデザインも凝っています。
エレベータードアは、サンジョバンニ聖堂の門がモチーフになっているとのこと。
その後、5階OSEギャラリーの見学・説明もしていただきました。
貴重な資料を拝見し、なぜこの場所にこの建物が建っているのかルーツを知り、大変興味深く、改めて大阪の奥深さを感じました。
―江戸時代、全国の藩が蔵屋敷を置いた大坂は、「天下の台所」と呼ばれる日本経済の中心地でした。
全国各地から年貢米が集まり、「淀屋米市」と称される米市場が形成され、その後対岸の堂島に移されると、享保15年(1730年)幕府から公許、堂島米会所と呼ばれるようになりました。
当時、堂島米市場で形成された米価が飛脚や旗振り通信などによって、江戸や地方の主要都市まで伝えられていたそうです。
世界初の組織化された先物取引所で、そこから金融の街へと発展していきました。
その後明治の時代に入り、五代友厚や鴻池・住友・三井らの豪商が発起人となって、明治11年(1878)大阪株式取引所が設立され、1935年にこの建築が建てられ、さらに2004年に現代的なビルに建て変わり、現在の北浜を見守っています。
堂島米市場跡には、「一粒の光」という安藤忠雄氏設計の米粒のモニュメントが2018年に設置されています。
知れば知るほど面白い、大阪の歴史、そして移り変わる街とともに受け継がれていく建築。
美しいステンドグラスのディテールや、凛とした建築を感じながら、とても学ぶことの多いツアーでした。
写真:2022年10月30日